物理的な「バリアフリー」と心理的な「バリアフリー」

yumgyumg900244

10年ほど前、突発性難聴を発症して以来、聴こえが悪くなりました。
聴力診断では、両耳とも低音域(1000hz)がまったく聴こえません。
私と会話する機会のある方はすでにお気づきだと思いますが、会話の途中で「ん?」と聞き返すことが多くて、申し訳ないナァといつも思っています。
 
私の母は、障害者手帳を持っています。
外傷性の難聴で50歳の頃、聴覚障害2級の認定を受けました。
 
そんなふたりなので、テレビを観るときは「字幕」をONにします。
そして、映画館ではもっぱら「洋画」専門。
 
元PA(音響)でとびきり耳の良い夫と一緒にテレビを観ていると、時々「字幕、ジャマ~」とポロッとこぼす時があります。
本人は悪気はまったくないんです。聴こえる人にとってはテレビの「字幕」は、それこそ「障害物」なんだと思います。
夫は、身体的特徴で人を馬鹿にしたり、差別したりするような人では決してありません。
ただわからないんだと思います。
経験がないから。
聴こえない、ということがどういうことかわからない。
 
私もかつてはそうだったと思います。
たまたま母が聴覚障害者となったこと、また自分も聴こえが悪くなったことで、それらに関する話題に敏感ですが、そうでなければ自分には「縁」がない話だわ、と気にとめることもしないかも知れません。
 
聴こえが悪くなる前の母は、活力があって社交的で、常に人の輪の中心にいるような人でした。
それが今では、たまの外出は「パチンコ」。
 
ある日、パチンコで負けが続きそのションボリ具合があまりにひどかったので「パチンコなんかでお金使こてんと、公園や喫茶店でも行ってお茶飲み友達作ったら?!」と言ったら、「だって、パチンコは誰とも喋らんでえぇし、ひとりでできるから・・・」と返され、そのときは申し訳なくて心の中で謝りました。
(口に出して謝れないのが、私の悪いところ・・・)
 
中途障害(我が家の場合)は、生活だけでなく、思考や性格にも大きな影響を与えるのだということを、さまざまな場面で感じます。
 
最近は「バリアフリー」という言葉が世間に浸透して、物理的な「バリア」の解消はずいぶん推進されています。
それと同じように心理的な「バリア」が、どのような立場の人においても解消されたら、との思いで、私のFB友人の投稿を共有します。
(宮永さん、シェア承認ありがとうございます)


スマートグラス体験」(FB友人の投稿)

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